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acueducto 22 特集「70歳からのサンティアゴ巡礼」

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El Camino de Santiago 70歳からのサンティアゴ巡礼


杉本嘉孝

第1歩のはじまり

 

 アストルガで買った杖をつき、ホタテ貝をぶら下げて歩き出すと姿は巡礼者に変身。次の村へ着いたのは午後6時。まだ明るい。すでに宿には10数人が到着していて楽しげに歓談している。私もその仲間に入っていった。フィンランドから来ていた女性3人組が物静かに話しかけてきた。教師だという。日本の教育事情など熱心に尋ねられ、平素の不勉強を思い知らされた。そばで盛り上がっていたのがメキシコ人巡礼グループだとすぐわかったし、そんな中、黙々とメモ帳に何やら記入していた中年女性は多分ドイツ人かと思われた。世界のあちこちから巡礼者は来ているのだと実感した。長身で敬虔なオーストリア青年は1人旅だとか。国籍も年齢もさまざまなのに1種の連帯感がすぐに生まれるのはサンティアゴを目指し旅を続けているという共通の目標を各人が共有しているからであろう。シャワーと夕食を済ませ巡礼者同士の話がはずみ、これが情報交換の場となり更にはミニ国際交流の場となる。こんな毎日が巡礼宿であれ途中立ち寄るバルであれ必ず見られる光景なのだ。夜10時が消燈。投宿者は静かに就寝。だが時には「耳栓」も役に立たない程のイビキをかく人がいるのも事実。真夜中のリサイタルだ。不運と諦めるしかない。もともとアルベルゲにはプライバシーはないのだから。で、翌朝午前8時までには出立が原則。まだ早朝の暗い6時頃になると、懐中電燈で持ち物を確認し足元だけを照らし、そっと宿を出てゆく人、そして又1人と。静かに「ブエン・カミーノ」(buen camino)と声をかけて見送る。相手も「ブエン・カミーノ」(ではお先に失礼。あなたもよい旅を)と返し宿を出てゆく。いよいよ今日の1日が始まる。この「ブエン・カミーノ」は巡礼者同士の挨拶言葉で道中出会ったり、すれ違う時、そして別れる時にこの言葉を交わす。励ましの言葉にもなり感謝の気持ちの表現でもある。

 

 

 

 

道に迷う

 

 村の集落を出てしまうと自然の雄大さに圧倒される。来てよかった。これ程の景色を1人占めしているのだ。日を追って慣れてくるとセンダ(小径)の花に目をやり写真をパチリ、小鳥のさえずりに耳を傾けながら歩く余裕も出てくる。万物が自分に向かって「ブエン・カミーノ」と励ましてくれているようだ。ルンルン気分。だが調子にのりすぎて、道しるべの黄色い矢印やホタテ貝のマークをうっかり見落としたまま気づかずに進んでゆくと大変。どうもおかしい、ひょっとしたらルートからはずれて歩いているのではないかと焦っていると、畑仕事の人が我々に気づき親切に道を教えてくれた。きっとヤコブ様が農夫の姿になって道に迷ってしまった巡礼者を正しく導いて下さったのだと思ってしまう。カミーノは感謝の道であり救いの道なのだ。或るアルベルゲで壁にこんな掲示があった。Turistas exigen(. あれこれ望むは観光客)Peregrinos agradecen(. 感謝し旅を続けるは巡礼者)これを見てハッとした。サンティアゴ大聖堂の前で、巡礼行に不安がっていた私を勇気づけ「大丈夫」と言ってくれたあの初老のスペイン人巡礼者は、もしかしたら「ヤコブ様」だったのではないかと思った。意外にも足の痛みは殆どなく歩けている自分。いや歩かせていただいていると言わなければならない。スペインに居ながらグルメなど全く無縁の毎日。宿に着きベッドが割り当てられただけで、どれ程感謝の気持ちになれることか。遅れて到着したほかの巡礼者が「満員です」と告げられ、再び重い足をひきずり別の宿探しにゆく姿を何度も見てきた。実は我々夫婦も「満員です」と断られたことが3度ある。宿の管理人としばらく押し問答になった。ベッドの有無は公平に到着順なのだ。半ば諦めかけていたのだが突然彼の表情がやわらぎ自分の事務所兼個室でよければ提供しようと言ってくれた。玄関口でザックをおろしたまま私と並んで立っている家内は疲れて今にも倒れんばかり。この姿を天上から見ていたヤコブ様が「この夫婦を泊めてやりなさい」とお命じになったのだと信じています。感謝し翌朝無事出立できたのは言うまでもない。又別の所だったが管理人自ら車を運転し宿へ届けてくれたり、3度目の時は電話でベッドの確認をとってくれ案内された宿に幸い投宿できた。こうして、あちこちで助けられながらの巡礼の旅は続いた。

 



杉本 嘉孝 / Yoshitaka Sugimoto

大阪府出身。1937年生まれ。2007年初めて巡礼路を歩き、以降2015年で8回目の巡礼となる。

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