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acueducto 33 特集「エル・ブジのもたらしたもの」

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「エル・ブジ」を共有した若者たち


山田チカラ、永島健志

エル・ブジは何をしたか?
山田チカラ

 

 2011年に閉店してからもう7年も経つのに、料理人だけでなく世界のあらゆる人に語られるエル・ブジというレストラン。食事をするために私が初めて訪れたのは、1998年に三つ星を獲得した翌年、まだ昼の営業もしていた頃。レストランに着いての最初の印象は、モダンなキッチンと古い客席のギャップだった……。

 今でこそキッチンにお客様を通したり、キッチンのシェフの横でシェフズテーブルという趣向で料理を食べさせたりすることは一般的だが、エル・ブジでは当たり前のように既にそれが行われていた。

 店内に入るとまず厨房に案内される。ここで「スナック」というエル・ブジ独特のアペリティフがオリジナルカクテルとともに出される。そしてなんとここだけで15~20品ほどの料理が提供される。 料理といってもほとんどが一口大の物、それがわんこそば状態で次々とやってくる! そして客席へ移ってメニューを見れば、品数の合計は約50品。こんな体験は初めてだったので、びっくりもしたが楽しかった。

 エル・ブジの料理は作り方が想像できない。料理人として食事をすればその調理法や仕上げはおおよそ見当はつくが、エル・ブジの料理は全く想像つかなかった。それを質問すれば調理場に連れて行かれ、皆嬉しそうに説明してくれる。その筆頭は、料理人でもないジュリだった。ジュリはエル・ブジのオーナーの一人でフェランのプロデューサー兼ソムリエ、ピリピリしている厨房を和ませてくれるいい兄貴のような存在だ。

 私は厨房で2年ほど働いたが、厨房はフェランを頂点に、その下に総合シェフ、料理開発専門のシェフ、デザートとか開発に携わるシェフの弟のアルベルト、その下に各チームの責任者のシェフがいて、チームには5〜6人位のスタジエがいるという構成。店の営業は3月末のイースター明けから9月の最終日曜日までという限定期間。

 営業用の厨房のほかに料理開発のラボを持つということも、当時は画期的ではなかっただろうか。

 フェランは自分の開発した新しい調理法、食材、料理を隠さずにどんどん公表していった。その頃スペインでは料理学会が頻繁に開かれるようになり、フェランの登場とともにこの国の料理界が一気に世界の料理基準を壊してしまったと言ってもいいと思う。

 彼は今までの常識を覆し、当たり前を当たり前とせず、すべての基礎を見た上で自分のやり方を作っていった。今は当たり前になっている少量ポーション多皿の構成や、お客様への食べ方の指定、テーブルの上以外の演出(香水のように香りを振りかけたり、音を聞かせたり、視覚的驚きを与えたり……)ジャンルを超えた食材使用、食器や料理を盛り付けるものすべての再考(石を使ったり、木を使ったり、試験官、スポイトなどを使ったり、日本の寿司のようにお客様に直に料理を手渡したり)な ど、数え切れないほどの新しいものがフェランから生み出されていった。これは、私たち料理人に新しい技術や知識を教えてくれただけでなく「料理の可能性はまだまだ未知数だよ」と教えてくれたのだと思う。

 私が初めてエル・ブジの厨房に入ったとき、フェランに世界中の豆を用意するからそれで豆腐と湯葉を作ってくれと言われた。日本人として豆腐は大豆で作るもの、レンズ豆やひよこ豆でできるわけがないと思うと言うと「じゃあ、チカラはできないということを試したのか?」と言われた。それがまさにフェランだった、すべては自分の目で確かめなさいと……。

 彼は学校の校長先生、その下に各担任がいて、生徒は半年の長い休みを経て世界中から集まる。緊張感はすごかったが一体感もすごかった。あのチームワーク、世界中の料理人との友情、 料理への探究心、新しいスタイルのサービス、得るものは限りなくあった。

 あぁ ¡Lo echaré de menos!

 

 

創作料理「山田チカラ」

東京都港区南麻布1-15-2 1F
☎03-5942-5817
www.yamadachikara.com

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