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acueducto 33 特集「エル・ブジのもたらしたもの」

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「エル・ブジ」を共有した若者たち


山田チカラ、永島健志

エル・ブジのこと
永島健志

 

「エル・ブジのことを書いてほしい」というオファーをもらってこれを書き始めた。

 僕の貧相な表現力では、伝説となってしまったレストランの真実を書くことはとても難しい。生涯をかけて考え続けなければならない大きな宿題だ。

 指折り数えれば10年の歳月が過ぎている。時の流れは振り返ったときにその早さに驚かされるものだ。当時のことは昨日のことのように覚えている。そして、記憶は曖昧で、ピンボケ写真のようでもある。どちらも真実で、どちらも虚構だ。

 スペイン・カタルーニャ。ひと夏の夢の話。

 2008年3月。僕はバルセロナ=エル・プラットへの飛行機に乗っていた。

 数日前に29歳になった僕は、言葉にできない危うい焦燥感とともに空を飛んだ。料理人として生きてきた10年。途中イタリア・ローマで料理を学んだ日々もあった。帰国後もそれなりにやりがいを感じていたし、仕事も充実していた。しかし、料理人としてのアイデンティティは完全にぼやけていた。

 自分がイタリア人でないことは、花の咲き乱れる僕の脳でも理解していたし、かといって日本料理の知識も経験も、草の種ほども持ち合わせていなかった。自分が何者なのかわからなくなるという、いわば稚拙な風邪を拗らせていたのだ。

“30歳という年齢”の背中をクリアに捉えたその年、僕は完全に迷い子だった。自分の立っている場所も、そして目指していく場所も霞んでいた。“30歳”というリアルで鮮明な“ポイント”とは対照的に、それは曖昧で不確かなものの象徴のようであった。

 約束があったわけではない。そこを訪ねたからといって、受け入れてもらえる保証はまったくない。それでも僕が空を飛んで向かったのは、そうしなければいけなかったからなのだと今は思える。妖しい魅力の虜だった。僕はモンジョイ入江に導かれた。

 あの夏、僕のすべてが変わった。料理の仕方や考え方だけではなく、性格まで。言葉にすればものすごく簡潔で簡単だ。本物のイノベーションとは案外そんなものかもしれない。

 あの夏に出会った「料理・カルチャー・人・物・景色」が、僕を変えた。

 フェランのストイックさ。ジュリのホスピタリティ。世界を変えんとする渦の中心には、情熱と野心に溢れた若いチームがあった。

 上下関係のないフラットな集団は、前向きで攻撃的。大きく開かれた広いひろい厨房には、それでも収まりきらないエネルギーが満ち溢れていた。爆発寸前の火薬のように。エル・ブジでの経験は「イノベーション」の体験だ。厳密には「イノベーションが起こる瞬間」の目撃だ。

 クリエーションとは真似ることではない。ひたすらに考え続け、悩み、試し、数えきれない失敗を繰り返す。そしてアイデアは現実となり、思いがけないふとした瞬間に孵化する。その蝶の羽ばたきは、やがて世界に嵐を起こす。

 この身に染み込んだのは「挑む姿勢」。いや、「挑み続ける姿勢」というべきか。その情熱の火は、未だ僕の胸で燃え続けている。

 

 

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