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acueducto 4 特集「スペインの食・過去から未来への大胆な飛翔 」

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3. エル・ブジのもたらしたもの


渡辺万里

エレナ・アルサーク 
「アルサーク Arzak」(サン・セバスティアン)

 バスク地方ギプスコア県の中心、サン・セバスチャン。かつて「スペインで一番たくさんミシェランの星が集まっている」といわれたこの町に、バスク料理界の重鎮フアン・マリ・アルサークのレストランがある。

 ファン・マリと私の交流は20年以上になるので、初めてアルサークを訪れたころ次女のエレナはただのかわいいお嬢さんだったが、今では、才能と環境が一致して開花する幸運というものが存在することを実感させてくれる、すばらしい料理人に成長した。そこには、父ファン・マリの影響とフェラン・アドリアの影響が見事にからみ合っている。そのどちらがいなくても、今日のエレナはいなかっただろう。

 そもそもバスク地方は、スペインで一番しっかりした料理体系が存在していた。そこへ1980年代に「新バスク料理」という新しい動きが加わって、スペインで唯一、国際レベルで通用する洗練された料理を出すレストランが軒を連ねるようになったのがサン・セバスチャンの町であり、その動きの一番の中心がファン・マリだった。

 「新バスク料理」の土台となったのは、昔ながらのバスク料理の発掘、昔ながらの素材の再認識、そして最後に新しい食材への挑戦だった。つまり、ここでは新しさは「素材」という形で導入されてきた。しかしフェラン以降、新しさの定義は変わった。ひとつの素材に新しい調理法をみつけること、新しいテクスチュアを生み出すこと。これが現代の料理人たちに出されている新しい宿題なのである。

 その点、バスク料理にフェラン的新しさを見事に実現している若手の一人がエレナだといっていいだろう。ひとつの素材を使ってテクスチュアで遊ぶ。色で遊ぶ。しかしその素材は、昔ながらのチピロン(小イカ)だったり、珍しくないラディッシュだったりする。フェランから学んだ科学的な発想に、女性らしい細やかな感性と豊かな色彩感覚を加えて、エレナの作り出す皿はどれも、楽しくて好奇心をそそる出来上がりになっている。

 ファン・マりはそんな娘の才能を大いに認めながらも、彼は彼なりに新しい料理に挑戦している。

「料理人は、いくつになっても料理人。3色の信号をみたら3色のボンボンに見えるのが料理人だ。常に頭のなかには新しい料理のアイデアがある。エレナの料理は楽しい。フェランは天才だ。だが私は私の料理をつくる。それでいいじゃないか?」

 だから「アルサーク」のメニューは、素直においしさをたっぷりと味わいながら、同時に新鮮な驚きも楽しむことができる。付け加えるなら、このランクの高級レストランとしては珍しいほどの暖かで家庭的なサービスも、何代も続いてきたこの老舗ならではの魅力のひとつになっている。

 スペインにはもともと「コシネーラ(女性料理人)」の偉大な伝統がある。この店も、先代までの料理人はファン・マリの祖母であり母だった。エレナはその流れを見事に受け継ぎながら、現代女性として、仕事も、2児の母としての生活もフルに楽しんでいる。どこにも支店を出さずに、サン・セバスチャンだけで本当に自分たちらしいレストランを守ろうと決意した父と娘に、心からの拍手を贈りたい。



渡辺 万里 / Mari Watanabe

大学時代にスペインと出会い、 その後スペインで食文化の研究に取り組む。1989年、東京に『スペイン料理文化アカデミー』を開設しスペイン料理、スペインワインなどを指導すると同時に、テレビ出演、講演、 雑誌への執筆などを通して、スペイン食文化を日本に紹介してきた。「エル・ブジ」のフェランを筆頭に、スペインのトップクラスのシェフたちとのつきあいも長い。著書は『エル・ブジ究極のレシピ集』(日本文芸社)、『修道院のうずら料理』(現代書館)『スペインの竈から・改訂版』(現代書館)など。


<スペイン料理文化アカデミー>
スペイン料理クラス/スペインワインを楽しむ会/フラメンコ・ギタークラスなど開催
〒171-0031 東京都豊島区目白4-23-2
TEL: 03-3953-8414 HP: www.academia-spain.com

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