日本人闘牛士「日出づる国の子」下山敦弘氏

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今後の存続の賛否両論がありますが、今日はスペインの闘牛士について、それも日本人で、現地で初めて闘牛士を志した方をご紹介いたします。闘牛士という職業はスペイン人の専売特許ではなく、外国人もいます。今なお、数少ないですが闘牛学校にはプロデビューを志すアジア人も在籍しています。

 

 

● 下山敦弘

「日出づる国の子 El Niño del Sol Naciente)」の字をもつ下山敦弘氏は、日本人闘牛士として現地、特にセビーリャでよく知られています。事実、acueducto 編集部スタッフも、昔ニーム(フランス)に行った時に「『日出づるの国の子』を知っているかい」と現地の元闘牛士の人に尋ねられたことがありました。下山氏は、元々は東京でダンサー、兼、体操選手をされていた方ですが、ブラスコ・イバニェスの有名な闘牛作品《血と砂》の映画を観たのをきっかけに闘牛士を志すようになりました。まずは闘牛の歴史や術について日本国内で資料を読んで勉強し、それから本場セビーリャの地に足を踏み入れました。

¿Qué fue del torero japonés El Niño del Sol Naciente?

Nació en la capital de Japón, Tokio. Y su vida cambió de forma radical cuando vio en el cine la película “Sangre y arena”, en la versión protagonizada por Sharon Stone. Desde aquel momento, Atsuhiro Shimoyama se conjuró para venir a España y convertirse en torero.

闘牛士としてデビューしたのは1995年。アルカラ・デ・グアダイラ闘牛場にて。日本人が闘牛士デビューしたことは当時でも大きな話題となりました。Novillero sin picador(見習い闘牛士)として実績をあげ、今後の活躍も期待されていた新人だったそうです。しかし夢はかなく、あるいはこの文化には常につきものの「命の危険」によって、下山氏は同1995年の夏、引退を余儀なくされました。8月16日にアビラのペドロ・ベルナルドの闘牛場で、「ベルゴンソーソ」と命名された若牛の角の一撃を受け、左半身麻痺という大怪我を負いました。その当時のショッキングなニュースについては、闘牛ルポで著名な作家、佐伯泰英さんの記事が以下のサイトに掲載されています(話が逸れますが、リンク先のフラメンコダンサー、小林伴子さんは『acueducto』vol.36の特集でも文章をお寄せいただいている、日本フラメンコ協会の副会長の方です)。

フラメンコ教室|小林 伴子 フラメンコ・スペイン舞踊教室 ラ・ダンサ|東京 高田馬場

東京・高田馬場にスタジオを構えるフラメンコ教室。本場スペインでの舞踊師範を持つ講師が教える本格的なフラメンコレッスン。

 

ところで下山氏は、現役スペイン闘牛士の最大のスター、ホセ・トマス José Tomas にも大きな感銘を受けています(編集部スタッフはホセ・トマスの闘牛を観たことがないので、彼が現役の内に観たいと思っています)。ホセ・トマスはスペインでは「サムライ」と形容されています。彼は1995年、つまり下山氏がデビューと引退したのと同年に正闘牛士(マタドール)に昇格しています。そもそもホセ・トマスが「サムライ」と謳われるようになったのは偶然ではなく、この闘牛士自身が積極的に三島由紀夫などの文学作品を読み込み、日本の武士道精神を研究しています。

ホセ・トマスを発掘・育成したのはアントニオ・コルバチョという人ですが、コルバチョ氏は、大怪我を負った後の下山氏に出会い、復帰の試みを手助けしました。というのも1995年夏の大怪我で病院に運ばれた時も、下山氏はプロ闘牛士になる夢を切望し続けていました。そして、コルバチョ氏のはからいで舞台が用意され、車椅子に乗った状態ではあっても、実際に彼は若牛を前に闘牛したそうです。

その下山氏は、現在もセビーリャに在住しているとお聞きしています。

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