人びとを魅了するゴヤの「黒い絵」

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200 aniversario del Museo del Prado: Goya, francotirador del dibujo contra la España atroz

El 19 de noviembre de 1819 abría el Museo del Prado con fondos procedentes de las colecciones reales. Era viernes. Francisco de Goya y Lucientes (Fuendetodos, 1746-Burdeos, 1828) h

 プラド美術館が開館したのは1819年11月19日。同年、アラゴン出身の画家フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828年)はマドリード郊外カラバンチェルに「聾者の家 Quinta del Sordo」という別荘を購入しました。今からちょうど200年前、首都の中心部でスペイン最大の美の殿堂がオープンしたのと同時に、その郊外では人間や世界の醜悪さを禍々しく表現する壁画のためのアトリエが生まれていました。当時のゴヤは73歳。宮廷画家としての栄光を掴んでいた過去もはるか昔、40代で患った原因不明の病により聴覚を失ってすでに30年近い月日が経っていました。「聾者の家」に移り住んで以降はほとんどここから外に出ず、彼は壁に恐ろしい怪物や残虐な人間たちの踊る壁画を描いていました。その14点の壁画は「黒い絵 Pinturas negras」シリーズと称され、現在はプラド美術館1階に展示されています。

Judit y Holofernes
GOYA Y LUCIENTES, FRANCISCO DE
©Museo Nacional del Prado

 プラド美術館を初めて訪れたら、ここを見逃さない人はほとんどいないでしょう。《我が子を食らうサトゥルヌス》や《砂に埋もれる犬》などをはじめとする圧巻の油彩画。悪魔に取り憑かれたような人間たちの狂気の相貌(《サン・イシドロの巡礼》や死や破滅を想わせる不気味な老人たち(《二人の老人》、《食事をする二人の老人》)、残忍さを体現している女性像(《ユディトとホロフェルネス》)など、ゾッとするような恐怖世界が描かれているにもかかわらず観る者の目を惹きつけて止まないのは、音のない暗闇と病に苦しんでいた画家の孤独がそこに投影されているからかもしれません。

 ところでプラド美術館はゴヤ作品を所蔵する最大の美術館で、そのコレクション数は150点以上に上ります。疑いようがなく美術館の「顔」の機能を果たしている画家の1人です。そして同美術館の創立200周年を記念して、上述の「黒い絵」に関連した大規模なゴヤの素描展「意志だけが私に残る Sólo la voluntad me sobra」が今月20日からスタートしました。そこには、1799年に出版した版画集《ロス・カプリチョス》にも登場するような、狂気、残忍、魔の世界の住人たちがやはり描かれているようです。老女、魔女、身体の不自由な者たち、絞首刑囚、カピローテを被った異端審問官、etc。ゴヤは友人マルティン・サパテルに次のような手紙を残しています(El Mundo記事より引用・翻訳):「理性から隔離された、幻想だけが、ありえない怪物を産み出す。その代わり、その幻想と結びついたものこそが、芸術の母であり、その者の欲望の源泉なのである」。

 200年前に描かれたにもかかわらず、ゴヤの素描の登場人物たちの形象は現代性を保っています。魔女や異端審問官の格好をしていても、描かれている表情や身振りの醜さ、孤独、残忍さなどは恒久的な問題だと言えます。実際のところゴヤの時代から200年が経った現在が残酷のない世界だとどうして言えるでしょうか。「黒い絵」に魅了される人が後を絶たないのも私たち自身が背後に抱える現実世界が原因の一端を担っているのではないのでしょうか。プラド美術館の館長ミゲル・ファロミール氏はこうまで述べます(同引用・翻訳):「200年前にゴヤは女性への暴力、社会の不平等などの問題を提議していましたが、彼と同様のことができた他の現代芸術家がいるとは思いません」。

 18世紀、激動のスペインを生きた画家ゴヤですが、彼の作品が発露する人間の内面のさまざまな問題(病、孤独、暴力、狂気、死、etc)は、確かに私たち現代人自身の問題としても受け止めることができます。創立200周年の節目を迎えて、これからもさらにゴヤ研究はプラド美術館を中心機関として発展していくと思いますが、また新たな解釈の提示や作品の公開によって、この画家の魅力が発見できると良いですね。

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