プラド美術館所蔵の絵画「言語道断の」救出劇
2018年06月23日
La “absurda” odisea para salvar los cuadros del Museo del Prado en la Guerra Civil
Las múltiples dimensiones que tuvo la Guerra Civil (bélica, ideológica, religiosa…) no faltó la de la cultura y el arte. Los tesoros artísticos se vieron también amenazados. Por
2018年6月19日、EL MUNDO「PAPEL」に「内戦下でのプラド美術館所蔵の絵画「言語道断の」救出劇 La “ansurda” odisea para salvar los cuadros del Museo del Plado en la Guerra Civil」という記事が掲載されました。作家のホセ・カルボ・ポジャト氏(現行スペイン内閣の女性副首相、カルメン・カルボ氏の兄)が新刊『プラドの奇跡(El Miragro del Prado)』を発表。ここで取り上げられているのは、スペイン内戦時に人民戦線政府の判断で実行された、傑作絵画の美術館からの脱出劇。マドリード市がフランコ軍による爆撃の危機に晒された状況下で取られた苦肉の策でした。著者はこれを「不必要で浅はかな処置」と厳しく批判。
持ち出された絵画は、美術館にとっても絶対に破損・紛失してはいけない最重要作品で、ベラスケスの《ラス・メニーナス》やゴヤの《5月3日》、ティツィアーノやエル・グレコの作品も含まれました。絵画たちは混乱した状況下で、危険で長い旅路を強いられ、マドリード、バレンシア、バルセロナ、ジローナ、国を超えてフランス、スイスへと渡り……内戦の終結後に、ようやくスペインに帰国することができました。著者曰く、この「疎開」中に傑作が消失してしまっても何らおかしくはなく、無事にプラド美術館に戻ってくることができたのは「奇跡」の出来事でした。
1936年、マドリードが爆撃の危機に晒されたのを受けて、人民戦線政府はバレンシアに避難します。そこで政府は「芸術文化財の押収と保護のための評議会」(Junta de Incautación y Protección del Patrimonio Artístico)を立ち上げ、プラドの傑作絵画も共に避難させ、守るべきだと判断したのでした。対象は、スペインの伝統的な反教権主義絵画よりも、暴徒たちの破壊の敵意が向きやすい宗教画が優先されたといいます。
著者のカルボ氏は政府のこの判断を批判。そもそもプラドは爆撃されておらず、またたとえされたとしても、建物のガラスが割れるくらいで保管されている作品には影響が出なかったはずだと述べています。文化財の国際的規範から考えても、この時すべきであったのは美術館の閉鎖、および作品をもとの展示場所あるいは地下室に保管しておくことだったと主張。実際、当時の副館長だったサンチェス・カントンはこの決断を「暴挙だ era una barbaridad」と言いましたが、彼らの反対を押し切って作品はプラド美術館から「持ち出され」ました。
実際のところ、野外に出た絵画はどのように扱われたのでしょうか。本にはとても恐ろしいことが書かれています。まず、《ラス・メニーナス》と同じ大きさの絵画が、橋下をくぐり抜けるとき、アーチにぶつかってしまったとのこと。さらには、ゴヤの《1808年5月3日》の上にバルコニーが落ちて(!?)破壊寸前の重大な破損を被ってしまったとのこと(!!)現在は、専門家にしか破損がわからないほど綺麗に修復されているようですが……。
El 3 de mayo en Madrid o ”Los fusilamientos”, GOYA Y LUCIENTES, FRANCISCO DE
©Museo Nacional del Prado
また移動も困難を極めました。穴ぼこだらけの路面を時速15kmで移動しなければならず、何事もなくバレンシアに辿り着けたのはまさに奇跡的。幸いにもバレンシア到着後すぐ、絵画は安全な場所へ移され、修復作業がされたようです。ただ、絵画はこうして生き残ることができましたが、同じく美術館に保蔵されていた金貨や銀貨などの他の文化財は、不必要にもっとでたらめに持ち出され、パリを経由してメキシコまで運ばれてしまったのだとか。
フランコ軍の勝利、人民戦線軍の敗北によって内戦は終結しましたが、著者はこの時も敗者に厳しい目を向けます。確証はないものの、アサーニャ大統領は、爆撃を免れた貴重な文化財を外交の道具にしようとしていたのではないか? と。政府は人民戦線側を援助したソビエト連邦に謝礼金を支払わなければなりませんでしたが、金の代わりに、こうした名画を渡そうとしていたのではないか……けれども、これは著者の憶測に過ぎません。
絵画が当時、どういう意図の下で持ち出されたのか。プラド美術館が、激しい爆撃を受ける可能性は本当になかったのか。そのまま展示室に保管していれば、何事もなく、また他の文化財も無事でいられたのか……それはそれで、暴徒たちによる窃盗や破壊の危険に晒されていたのではないか? 今後も議論を呼ぶ1冊となりそうです。
戦争という未曾有の事態における文化財の処遇を巡っては、スペインに限らずどこの国も時として厳しい判断が迫られます。爆撃や窃盗によって歴史的な財産が消失するニュースも珍しくありません。戦争がなくならない限り、人間と同じで、文化財が絶対安全圏にいるということはないのです。