「詩人ピカソ」の『語彙集』

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Un poeta “descarriado” llamado Pablo Picasso

Nadie definiría a Picasso como un «poeta descarriado». Salvo Picasso. Hasta ahora sus poemas han sido como una nota a pie de página, una anotación a su pintura. Aunque Gallimard pu

 画家ピカソは絵画制作の傍らで、主にフランス語で綴った大量の詩作品を残しています。パリで、数多くのフランスの詩人と密に交流していたので、当然その影響もあるでしょう。ピカソが詩作活動を始めたのは1935年、54歳の時。それから1959年までのおよそ25年間、まるで日記のように頻繁に書き溜めました。彼の詩作品群は、1989年までほとんどその存在を知られていませんでしたが、この年にフランスのガリマール社が『Écrits』という詩集を出版しました。そこには340篇以上のピカソの詩が収録されています。そしてこの詩集のスペイン語版が出たのはさらに時が経過した2008年のことでした。

 本業は画家であるゆえ、長らくピカソの残した詩は、絵画作品の解釈を助けるためのものだと考えられていました。ところが、実はそうではなくて、ピカソの詩の世界に広がっているのは「画家自身の強迫観念」であるという提示が出され、これをテーマにした企画展「Picasso poeta」がバルセロナのピカソ美術館で2019年11月8日から始まりました(会期は2020年3月1日まで)。実際のところ詩を書き始めた1935年当時、ピカソは画家として危機的状況に陥っていたといいます。ピカソが言葉の世界に求めようとしたものは一体なんだったのでしょうか。

 さてこの展覧会開催に関連して、詩の中でピカソ独自の言葉の使い方を解説した語彙集『Abecedario』も出版されることになりました。2019年11月13日付の『El Mundo』誌のWEB版記事で、いくつかの言葉のピカソ的定義について紹介されているので翻訳して紹介します。抜粋しているので、他の言葉も気になった方は、本ページトップに貼っている出典元をご確認ください。この冬にバルセロナを訪れる予定の方は、本展覧会をぜひお見逃しなく。

 

ANDALUCÍA(アンダルシア)

1936年5月にピカソは次のように書いている。「私は白人の父とアンダルシアの蒸留酒の一杯から生まれた。私は娘から生まれた。その娘の母はマラガで生まれて15歳で独り身の母となった。ペルチェレスで美しい牡牛が私の額にジャスミンの花輪をもたらした」。アンダルシアは画家にとって常に回帰的イメージとなっていただろう。そしてスペインと地中海という彼のルーツを象徴するものにもなっていただろう。つまり、マンティーリャを被った下町娘、ギターの音の響くボデゴン、広場の闘牛士、オリーブ……

 

MINOTAURO(ミノタウロス)

ほぼ常に彼のアルター・エゴ。時々それは、盲目で弱々しい姿で現れる。あるいは、男性的権力の典型として現れることもある。牡牛と並んでピカソの想像する世界の中で反復されるイメージである。

 

MUJER(女性)

彼女の最初の妻オルガ・コクロヴァから最後に愛した女性ジャックリーヌ・ロックまで。ピカソの愛した女性たちは皆、彼の絵画作品と同様に、詩の中でも中心的存在であり、インスピレーションを与えている。

 

TEXTOS(文章)

「詩人ピカソは専門家たちの輪の外ではほとんど知られていません。けれども詩は、彼の人生と絵画作品から切り離すことはできません。おそらく詩は、フランス人たちが言うように、ピカソが「彼自身」と出会う場なのです」(ピカソ美術館の学芸員クラウストル・ラファール氏。「詩人ピカソ」展の委員、『語彙集』著者の1人)。

 

ピカソの詩人としての一面もとても興味深いですね。絵画とリンクしている特徴ももちろんあるでしょうし、ピカソが自身の内面を文章でどう描こうとしたのか筆跡を追うのも、絵画鑑賞とは異なった印象を与えてくれるでしょう。

 

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