【アポロ月面着陸50年】NASAが拒んだスペインの夢

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 今からちょうど50年前の1969年7月20日に人類は初めて月へ上陸しました。ニール・アームストロング船長、マイケル・コリンズ操縦士、バズ・オルドリン操縦士の3名のアメリカ人宇宙飛行士を乗せたアポロ11号は、7月16日に地球を出発し、4日後に月に着陸しました。この時、記念碑的に月面に立てられたアメリカ国旗。

 宇宙の闇と灰色の月面の舞台。宇宙船、そして「星条旗」と「白い宇宙服の宇宙飛行士」は、人類の壮大な夢の実現を表しています。アポロ計画は1961年からNASAでプロジェクトが始動し、1〜10号の試行錯誤を経て11号が夢を叶えたわけですが、でも、実はこれよりも遡ることおよそ30年。アメリカではなくスペインで、この夢に着手した人物がいました。『ABC』誌が2019年7月7日にこの人物について報じており、先日スペイン語教室ADELANTEのブログでもご紹介したのですが、さらに同誌がこの人物について詳しい記事を出しましたので、ちょうど月面着陸50年を祝うこの機会に、私たちもあるスペイン人が夢見た月旅行計画についてクローズアップしてみましょう。★ADELANTEの記事はコチラ

El inventor del traje espacial que rechazó a la NASA por no usar la bandera de España en su misión

ABC, martes 22 de julio de 1969. “Un pie se descuelga por las escalerillas del módulo lunar posado en el Mar de la Tranquilidad. Desciende, la punta de la bota toca el fino polvo que hay debajo. Es la primera vez en la historia de la Humanidad que el hombre camina sobre la Luna.

■知られざるグラナダ人

 その人物の名はエミリオ・エレーラ(Emilio Herrera)、1879年2月13日生まれのグラナダ人。残念ながら「月面着陸」をテーマとした時に彼の名前を思い出す人は、これまでほとんどいませんでした。エレーラは、NASAよりもずっと前に月面着陸のための宇宙服を開発した人物です。その服ができたのはアポロ11号の月面着陸から30年も前のことでした。そしてエレーラのこの宇宙服がベースとなって、1969年にネイル・アームストロングとバズ・オルドリンが着用したNASAの宇宙服が開発されたというのです。

 エレーラは器用な人物で、パイロット、エンジニア、そして開発者として軍に勤務していました。とても若い頃から科学への飽くなき好奇心をもち続け、やがて宇宙への旅を夢見るようになりました。20世紀はじめに彼は実際にその夢を実現させるための行動に出ました。空想科学ではなく現実の科学技術の研究に没頭し、ついに彼の宇宙服「大気圏用ダイバー服 escafandra estratonáutica」を生み出したのです。そして、この服が数十年後NASAに導入される未来へと繋がります。

 エレーラを知っていた者たちによると、彼は独特で思慮深く、模範的な人物だったそうです。そして政治的には内戦勃発後は断固たる反フランコ主義として共和国政府側に立ち、1960年から1962年の亡命政府においてはその大統領を務めるまでの大役を果たしました。にもかかわらず彼の存在は最近までほとんど知られていなかった、と上の『ABC』誌は指摘。彼の故郷の公園にはその功績を讃えた記念碑がありますが、それでも地元の人でも知らない人が多かったそうです。2年前の2017年に、アンダルシア州議会が中心となって彼の死後50年の記念イベントを開催し、ようやくその存在が顧みられるようになりました。

■「人類は月へ行く」

 1932年、エレーラは人類はやがて月に到着するだろうと予言し、そのための仕事に取りかかりました。最初の課題は重力がなくなる成層圏の軌道をどうやって通過するかでした。彼は1933年にこんな言葉を残しています:「私の好奇心は常に、地球の上面へ向かう垂直方向の旅にありました。雲に向かって高く上昇し、それから地球の深部、海の底に向かってまっすぐ下降することです」。これはスペイン王立アカデミーに入学時に発した言葉で、この頃から「大気圏用ダイバー服」の開発を思い描いていたそうです。

 科学者として非常に優秀だったエレーラ。その能力を買われ、ユネスコが組織する核エネルギー平和的使用のための顧問メンバーにもなったほどでした。さらにかの天才物理学者アルベルト・アインシュタインとも親交がありました。加えて政治的な場では国王アルフォンソ13世とも個人的に親しかったといいます。活躍の場が多方面である多才な人物でしたが、その中でも宇宙飛行が彼の中では御しがたい夢として膨らんでいました。そして、スペインにおける地球飛行パイロットの初期メンバーに転身し、1914年には飛行機でジブラルタル海峡を横断した史上初の人物として世間を賑わせました。また地上から22,000mまで気球で上昇する挑戦もしましたが、これは失敗に終わりました。それでも空への、大気圏外への彼の探究心は潰えることは決してありませんでした。エレーラは人間が成層圏に突入した時に浴びる宇宙線の研究を始めました。そしてこれに耐え得る服を開発しようとしたのでした。

■開発された服

 エレーラの開発した「ダイバー服」は、宇宙分野においてヨーロッパが生み出した傑作の1つと言ってもいいくらい、優れたものでした。その服は凍てつく外気温、低気圧、無酸素という大気圏の環境下にも耐えられるように設計されていました。この発明は1935年に科学雑誌 Madrid Científico に掲載されました。そして現在の宇宙服の先駆けであると云われています。当時の誌面にはこのように書かれていました:「これはやがて航空士たちの服になるだろう。未来において成層圏を通過し、光り輝く素晴らしい服としてわれわれは感動するだろう」。宇宙へと到達する前に、まずはこの服で大気の上層部にまで到達できるか実験する必要がありました。そして同時にエレーラは、未来の宇宙飛行士たちが宇宙船の修理のために船の外に出たり、月に到着した時に月面を歩いたりするために、この服は宇宙空間でも耐えられる防護服にしなければならないと確信しました。

 そこで服は3層に覆われました。ゴム、ウール、そして非常に耐久性のある布の順に重ねられました。関節部分は蛇腹のようになっていて、着た人が自由に四肢を動かせるようになっていました。さらに太陽光線を反射して服内部の加熱を防ぐため、頭部のメット部分と胴体部分をすっぽり覆う、ツヤ出しされたアルミニウムと銀のシートが導入されました。しかしここでエレーラが見落としていた科学現象がありました。極度の低気温の環境下では、呼吸によって吐き出された二酸化炭素が凍ってしまい、呼吸用のボンベを塞いでしまうというものでした。

エレーラが開発した「大気圏用ダイバー服」
出典 / Wikipedia

■スペイン内戦で潰えた夢

 課題はありましたがこれだけ作り込まれていたにも関わらず、エレーラの服は実用化には至りませんでした。内戦によってプロジェクトを中断せざるを得なかったのです。製造された服は解体されてしまい、これがあったら大気圏まで突入できると彼が信じていた表面のシートは、共和国軍の兵隊たちの防寒着の素材にされてしまいました。けれどもエレーラの名声はアメリカのNASAにまで届いていました。そこでNASAはフランスに亡命していた彼に仕事のオファーをします。しかしながら、エレーラがNASAで自身の夢を叶えることはとうとうありませんでした。

 いくつかのソースによると、エレーラがNASA側のオファーを却下したからだそうです。却下の背景にはアメリカ合衆国側がエレーラの要求を聞き入れなかったからだとされています。エレーラは、自分の宇宙服のプロトタイプが人類の偉大なる夢の実現に貢献したことを証明するために、スペインの旗も宇宙船に乗せて月に持って行って欲しいと懇願したのだそうです。しかしアメリカとNASAは星条旗の隣にスペイン共和国政府の旗が立つのを拒みました。カルロス・ラザロ・アビラの本『冒険飛行 La aventura aeronáutica』によるなら、この時エレーラは自分の秘書に次のように語っていました:「アメリカ人は子供みたいだ。金があれば全てを買えると信じている」。

 NASAとの決裂にもかかわらず、エレーラの研究者としての情熱はまだ残っていました。彼は、ドイツが原子爆弾を開発しているのではないかと疑い始め、このことをフランスの雑誌に投稿します。ナチスの検閲によってドイツではこの雑誌の出版が差し押さえられました。さらに天才技工士だった彼はナチス・ドイツから彼らのために働かないかと大金を積まれて呼びかけられたそうですが、これを拒絶しました。

 さて、この天才グラナダ人の存在は、近年、祖国スペインで注目されるようになっています。数ヶ月前にスペイン現行政府の科学・イノベーション・大学省の大臣ペドロ・デゥケ(元宇宙飛行士)がエレーラの「名誉と記憶」を取り戻すための発案を出しました。 エレーラは政治的な理由から独裁者フランコによりスペイン王立アカデミーから贈られた勲章を剥奪されていました。デュケは今年5月のEFE通信の取材の中でコメントします:「エレーラは類稀なる人間でした。力強さと気力をもって、自らのプロジェクトに取り組んでいました。私自身の職業と経歴から、彼の物語は私にとってとても身近に感じられるものです」。国立宇宙飛行技術研究所(INTA)物理学者のフアン・F・カブレロ・ゴメス氏もエレーラの人となりを次のように説明しています:「19世紀末にグラナダで科学的な祭典と催し物を実現させた自らの父の像に刺激され、エミリオはとても若い頃から科学に興味をもっていました」。

 

 歴史の影に埋もれていた天才エミリオ・エレーラ。彼が内戦前に開発した「大気圏用ダイバー服」が、その後のNASAの宇宙服開発に大きく寄与したことは間違いないのでしょう。スペインにはまだ私たちが知らない天才・偉人たちが大勢いるはずです。人類全体の歴史を振り返るとともに、エレーラのような人物もどんどん脚光を浴びて欲しいです!

 

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