16〜17世紀スペインの大学事情

その他

 

スペイン最古の大学として名高いサラマンカ大学。その始動は13世紀初期。歴代スペイン王家の多大な支援もあったことからヨーロッパでも指折りの名門総合大学として歴史を重ね、昨年2018年には創立800周年の節目を迎えました。この大学は歴代の数多くの著名人を輩出したことでもよく知られています。

ところでスペイン国内で大学数が急増したのは16世紀になってから。主要都市に続々と建設され、17世紀初頭、ちょうど大文化人セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』が世に出された頃、大学と名のついた機関はスペインで33校にも増えていました。けれどもそんな状況下でもサラマンカ大学は「あらゆる学問の教育で一番」として不動の地位を保ち続けていたそうです。

 

上級生は無法者?

当時はどんな若者たちが学問を修めていたのでしょう。サラマンカ大学などのレベルの高いところで勉強をするため、地方からも大勢の若者たちが集まっていたそうです。大学数の増加に比例して、16〜17世紀のスペイン文学には数多くの大学生のキャラクターが登場するのですが、その実、貧乏で、不勉強で、飲み逃げや食い逃げの常習犯、無責任に毎日を謳歌しているという、「勤勉」とはかけ離れたピカレスク小説のピカロにも通じるような、のらりくらりとした悪徳者として描かれているのが大半です。「馬鹿げた」学生たちの文化の中でも特に酷かったのが上級生のカツアゲ。文豪ケベードのピカレスク小説『ペテン師』では、田舎から出てきたばかりの新入生の元に集団で押しかけて、大金(24レアル)の上納金をせしめる悪魔のような所業が描かれています。そういえばスペイン語教室ADELANTEのブログで紹介していますが、スペイン語でこの「大学生のカツアゲ文化」の名残を思わせるような表現「Estoy a la cuarta pregunta」があります(詳細は以下のブログで)。

https://adelante.jp/noticias/aprender/expresiones-de-sin-dinero/

こんな堕落した生活であれば、せっかく名門サラマンカ大学に入学しても、学力や知性なんて身につきませんよね。実際、16世紀中頃からスペインの大学生の基礎力はかなり低下していたそうで、当時の国王カルロス1世もこれを嘆きラテン語教育専門学校を設立するという苦渋の決断をしたほどです。

 

悪魔のような学事規定

しかしながら、当時のスペインの大学生は本当に悪い連中ばかりだったのかと言いますと、そうでもないようです。というのも学生たちはガッチガッチに固められた厳しい規定(下宿の門限など)を守らなければならず、さらに貧乏な苦学生も多かったことから貴族学生の使い走りや居酒屋の下働きなどをして生活の糧を得なければなりませんでした。『人生は夢』で有名な劇作家カルデロンも、サラマンカ大学で教会法を学んでいましたが、居住費未納などの理由で破門され、大学牢に投獄されました。なんたる不運。

だから悪徳者のような大学生像というのは、むしろ厳しい現実の反動から生まれた文学上のフィクションであるという説も有力なようです。特に経済問題は真面目な学生たちにとって学問の道を閉ざす非常に強大な障壁となっていました。どんなに優秀な成績を修めていても、大学の学位を修了するにはお金がかかり、それを払えない学生は泣く泣く学業を放棄せざるを得ませんでした。悪徳者の大学生の所業など吹っ飛んでいきそうな恐怖の修了試験の内情を見てみましょう。

 

【1529年のサラマンカ大学学事規定 52条】

修了資格(修士)

修士号を得ようとする者は、修了試験を担当する博士や教師にフル・コースの食事とは別に、鶏3羽をはじめとするさまざまなものを献上する義務があり、これを怠ると修了証の発行は自動的に1年保留される。

修了資格(博士)

教授陣や神父を含め学位授与式の出席者全員に現金で心付けをせねばならず、自分より先に学位を受けた先輩たちの家には、敬意を表する習わしとして手袋、砂糖、鶏をつけ届けする。祝賀の闘牛も自前で開催して、少なくとも5頭、あるいは10頭の牛を殺す。闘牛の見物人にはお菓子をふるまう。夕食にも大勢を接待しなくてはならない。

 

要は「君、学位を修めたいならそれ相応の心付け、お分かりだね?(肩ぽんぽん)」みたいな世界。こんな大判振る舞いができる若輩者なんて、有産階級の中のごく少数に限られているのは自明なのですが、なんとこの不合理な習慣は15世紀から18世紀半ばという300年以上の長きにわたって続けられていたそうです。夢破れ大学から去った無名の天才たちの数知れず……。

 

女子学生に開かれていたルネサンス期スペイン大学界

けれどもこんな当時のスペイン大学界にはまた意外な側面があります。それはこの時代からすでにアカデミーの中で女性たちが活躍していたという点です。1500年頃のサラマンカ大学の教壇には女性教授たちがいて、さらに男子学生と女子学生が同席して講義に出席することができました。今では当たり前のことですが当時の時代背景から考えると驚くべきことでした。こんなに古い時代からスペインでは女性も男性たちと並んで学問を修めることができたというのは、注目すべき事実(しかしそうは言っても経済面での巨大な障壁が……)。この体制を大学が死守できれば良かったのですが、残念なことに、この学問における男女平等の精神は現代の傾向と逆行してむしろ批判され、後世の17世紀から18世紀にかけて共学生は崩れていきました。

興味深いスペイン大学界の歴史。今回言及した学生の街サラマンカには語学留学をすることもできます。学問や文化に造詣深い人びとが集まるここでの学生生活は格別です。もしご興味あればスペイン留学.jpのサラマンカ留学情報も併せてご覧ください。

https://spainryugaku.jp/locations/castilla-y-leon/

 

参考文献
『ドン・キホーテの世紀 ──スペイン黄金時代を読む──』
清水憲男著, 岩波書店, 1990年11月

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