ピカソと故郷マラガのフラメンコ

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本日10月25日(金)は、画家パブロ・ピカソの誕生日。ところで「ピカソと闘牛」は、画家自身が多様な形式で闘牛作品を意欲的に描いたことから、よく取り上げられるテーマですが、「ピカソとフラメンコ」は、ほとんど聞かないテーマですよね。彼が生まれたアンダルシア州マラガ県は、周知の通りフラメンコの活発な地域。しかし19歳でパリに渡り、またスペイン内戦勃発後は祖国スペインに二度と公式帰国せず、画家人生のほとんどを亡命先のフランスで過ごしていたピカソ。だから、彼が実際にスペインの、それもアンダルシアのフラメンコを目にする機会は非常に限られていたのだろうと推察できます。けれども「ピカソとフラメンコ」はもっと注目されるべきだと考える研究者らがいて、昨年9月にはマラガにあるフランス語機関「アリアンス・フランセーズ」で本テーマの企画展「Y Picasso recordaba el flamenco(そしてピカソはフラメンコを覚えていた)」が開催されました。そしてこの展覧会の企画者によるなら、ピカソはマラガで流行していたフラメンコ文化に実際に接していたとのことです。

 

 

実際の展覧会では18枚の、ピカソと19-20世紀のフラメンコのつながりを示す絵画作品が展示されました。これらはマラガ出身の著名ジャーナリスト、フランシス・マルモルによって書かれた記述を元に、視覚芸術家のエマニュエル・ラフォンによって作られた作品。いずれマルモル氏が出版を予定しているピカソとフラメンコをテーマとした書籍の挿絵にもなる予定です。マラガ時代に幼い画家自身が見ていたであろうフラメンコの光景を再現した作品群でした。

ピカソが幼少期を過ごしたマラガは、ちょうどカフェ・カンタンテ(タブラオの原型)が賑わっていた時代。物心のついた頃から闘牛を身近に見ていたのと同じく、ピカソは、フラメンコのカンタオールたちの歌をカフェ・カンタンテで聞いていたのだろうと、企画者たちは伝えています。具体的に名前が上がっている地元アーティストは、Juan Breva、La Trini、El Piyayoら。

特にEl Piyayo(本名ラファエル・フローレス・ニエト)への愛着は、実際にその証拠が伝えられています。1957年、マラガ出身の一団が、当時はカンヌで暮らしていた同胞ピカソを訪れるためにスペインからフランスへ渡りました。自宅を訪れた訪問客たちにピカソが語った在りし日の故郷の思い出は、El Piyayoのカンテの一節だったそう。また、ピカソはマラガを離れてからも、行く先々でフラメンコの関係者と出会っています。セビーリャ出身のFélix de Loco、伝説の振付師Antonio Gades、南仏出身のギター奏者Manitas de Plataなど。

闘牛とは異なり、ピカソ自身がフラメンコの絵画をほとんど描いていないので、結びつきを探るのは難しいと思いますが、だからこそ研究の余地が残されており注目すべきテーマとも言えるでしょう。マルモル氏の書籍が出版された暁には再び話題に上るかと思います。

なお今週末からマラガのピカソ美術館では、創立16周年を記念して企画展「Calder-Picasso」が始まります。マラガを訪れたらこの美術館もぜひ足を運んでくださいね!

 

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